「売上はあるのになぜかお金が足りない……」その原因の多くは、在庫管理を「カン」頼みで行っていることにあります。在庫の歪みは単なる管理の問題ではなく、決算書上の「売上総利益(粗利)」そのものを狂わせる財務的な問題です。
30社以上の財務改善支援の現場で見てきたのは、製造業・卸売業の社長が「在庫は現場の担当者の感覚に任せている」と話すケースです。財務コンサルティングの世界では、社長の経営姿勢を「3層」で捉えることがあります。3流は決算書の黒字だけを見て安心する層。2流は在庫の動きをある程度実態として把握する層。1流は在庫が粗利とキャッシュフローに与える影響を管理会計として理解し、経営判断に活かす層です。「カン」による在庫管理は、まさに3流の発想から抜け出せていない状態です。
「在庫は現場の担当者に任せている」という社長の多くは、「正確な在庫データを見ることへの不安」を抱えています。これは東京大学名誉教授の経営学者・高橋伸夫が指摘する心理的メカニズムと一致します。
在庫の実態を数字で正確に把握すれば、「過剰仕入れの責任は誰にあるのか」「なぜこの商品が動いていないのか」という不都合な事実が明らかになります。これを避けるために、「カン」という曖昧な基準のまま在庫管理を続けてしまう——これが「カン頼み」の心理的な正体です。
しかし、在庫は単なる「モノ」ではありません。決算書上では「資産」として計上され、仕入れた時点で現金が出ていきながら、売れるまで費用として認識されません。在庫を「カン」で管理することは、自社の資産と現金の流れを「見ないようにする」ことと同義です。
製造業の部品在庫を「カン」で管理していると、大口注文が入った際に在庫不足で受注を逃す一方、別の部品は過剰仕入れにより倉庫に眠ったままになるという現象が同時に発生します。月次の棚卸しにより、各部品の正確な在庫数を把握すれば、過剰仕入れと品切れリスクの両方を大幅に削減できます。
担当者個人の経験や思い込みに基づく発注は、市場の変化を見逃す危険性があります。データ分析により、担当者の「カン」とは異なる需要パターンが判明することは珍しくありません。
「多めに仕入れておけば安心」という考え方は、在庫という形で現金を固定化させます。適正在庫量が分かれば、仕入れ量を最適化し、在庫金額と廃棄ロスの両方を削減できます。
急な注文への対応のため在庫を多めに保有していても、予想外の需要変動には対応できず、機会損失と過剰在庫が同時に発生することがあります。週次の棚卸しにより在庫回転率を向上させ、機会損失を大幅に削減できます。
「人気が続くと思った」という勘で大量仕入れを行うと、流行の終息や需要変化により大量の不良在庫を抱えるリスクがあります。商品ごとの販売速度を月次で把握することで、売れ行き鈍化を早期に発見し、タイムリーな対策を打つことができます。
品切れを恐れて小口での頻繁な発注を繰り返すと、配送料や緊急発注料が嵩み、利益率を圧迫します。計画的発注により、年間の仕入れコストと発注作業時間の両方を削減できます。
「例年通り」という勘に基づく生産・仕入れ計画は、気温や市場環境の急激な変化に対応できません。データを分析し外部要因との相関関係を把握することで、需要変動を見越した計画的な対応が可能になります。
この手法を実践する前に、まず「なぜ黒字なのに資金繰りが苦しいのか」というメカニズムを理解することが重要です。詳しくは黒字なのに資金繰りが苦しい根本原因の記事で解説しています。
卸売業Q社(年商3.8億円)の事例を紹介します。Q社は「品切れを起こすと取引先の信頼を失う」という危機感から、主要商品の在庫を「カン」で常に多めに保有していました。
ここで重要なのは、「決算書上の利益(粗利・営業利益)は在庫管理を改善する前も後も大きく変わらなかった」という事実です。Q社の社長は当初「黒字だから問題ない」と考えていましたが、在庫として固定化されていた約2,400万円の現金は、決算書のどこにも「資金繰りの圧迫要因」として表示されません。損益計算書は「在庫を持っていること」のコストを直接示さないため、在庫の歪みは「見えない資金繰り悪化要因」として静かに会社を圧迫し続けます。
これが「在庫の歪みが粗利を狂わせる」という財務的な問題の本質です。正確には「決算書上の粗利の数字」自体は歪まなくても、「その粗利を生み出すために、どれだけの現金が在庫に縛られているか」という資本効率が歪みます。利益が出ているのに資金繰りが苦しいという黒字倒産のリスクは、まさにこの構造から生まれます。
近江商人の「しまつ」の精神は、在庫管理においても重要な指針となります。「カン」による曖昧な管理は、まさに「しまつをつけない」状態です。動かない商品をいつまでも倉庫に置き続け、「いつか売れるかもしれない」という曖昧な期待を持ち続けることは、その商品に固定化された現金という「決着のついていない問題」を放置していることに他なりません。
一つ一つの在庫アイテムに対して「これは何カ月以内に売る」「動かなければ何カ月後に処分する」という明確な基準を設け、データに基づく適切な判断を下すこと——これが現代における「しまつ」の実践です。Q社では、在庫アイテムごとに「90日以上動きがなければ社長判断で処分を検討する」というルールを導入し、不良在庫が静かに資金を圧迫する状態を防いでいます。
「カン」による在庫管理は、高橋伸夫が示す「見通しを立てることへの不安」を回避する心理的な防衛反応です。しかし在庫は決算書の利益には直接現れない形で、確実に会社の現金を固定化します。決算書が黒字でも資金繰りが苦しいという現象の多くは、この「見えない資金繰り悪化要因」が原因です。
近江商人の「しまつ」の精神に従い、一つ一つの在庫アイテムに明確な基準を設けて決着をつけることが、財務コンサルの言う「3流から1流への昇華」——カンによる表面判断から、管理会計による経営判断への転換——の出発点です。
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合同会社エバーグリーン経営研究所
経営コンサルタント 長瀬好征
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