「先月は500万円の利益が出た」という朗報を聞いた翌日、銀行口座を
確認すると残高は100万円しかない—このような経験をしたことはありませんか?
多くの社長が直面するこの「利益と現金のパラドックス」は、財務における
最も重要な真実を示しています。
それは、「利益」は概念であり、「現金」だけが実在するということです。
前回第5回では「『概念としての利益』を理解する」では、利益が会計上の概念に
過ぎないことを解説しました。
今回は、その対極にある「実在する現金」の本質に迫り、なぜ現金管理が経営の
生命線となるのかを解説します。
「現金は実在する」—この言葉の意味を深く考えたことはあるでしょうか?
現金(預金を含む)には、他の財務要素にはない3つの特性があります:
この「実在性」こそが、現金を会社経営における最重要資源たらしめる理由です。
なぜなら:
– 従業員への給与は「利益」では支払えず、「現金」でしか支払えない
– 仕入先への支払いは「売掛金」ではなく、「現金」で行う必要がある
– 税金や社会保険料も「現金」で納付しなければならない
つまり、どれだけ損益計算書上の数字が良くても、現金がなければ会社は立ち行か
なくなるのです。
現金と利益の違いを理解するために、具体的な例で見てみましょう。
ケーススタディ:A社の6か月間
A社の状況:
– 月商1,000万円の小売業
– 仕入代金は翌月末払い
– 売上はすべて現金(クレジットカード含む)
6か月間の損益と現金の動き:
| 月 | 売上 | 仕入 | 利益 | 現金増減 | 現金残高 |
| 1月 | 1,000万円 | 700万円 | 300万円 | +1,000万円 | 1,500万円 |
| 2月 | 1,000万円 | 700万円 | 300万円 | +300万円 | 1,800万円 |
| 3月 | 1,000万円 | 700万円 | 300万円 | +300万円 | 2,100万円 |
| 4月 | 1,000万円 | 700万円 | 300万円 | +300万円 | 2,400万円 |
| 5月 | 500万円 | 350万円 | 150万円 | -200万円 | 2,200万円 |
| 6月 | 500万円 | 350万円 | 150万円 | +150万円 | 2,350万円 |
注:簡略化のため、その他の経費は考慮していません。
この表から、いくつかの重要な洞察が得られます:
1月の利益は300万円ですが、現金は1,000万円増えています。
これは仕入代金の支払いが翌月になるためです。
5月は150万円の利益を出していますが、現金は200万円減少しています。
これは売上減少のタイミングで、前月の高い仕入代金(700万円)を支払う
必要があったためです。
売上が安定すると、利益と現金の動きは徐々に近づいていきます。
このケーススタディは、利益と現金の動きが全く異なる場合があることを示し
ています。
特に事業環境が変化するとき(成長期や縮小期)には、この乖離が大きくなります。
現金の動きを注視することで、他の財務指標では見えてこない経営の真実が浮かび
上がります。
会社の事業サイクル(商品仕入れから代金回収までの流れ)は、現金の動きに最も正直
に現れます。
例えば、製造業のB社は月次損益では毎月安定した利益を計上していましたが、現金の
流れを分析すると、3か月周期で大きく変動していることが判明しました。
これは大型プロジェクトの入金タイミングが3か月ごとだったためです。
この発見により、B社は投資や支払いのタイミングを調整し、資金効率を大幅に改善しました。
売上や利益の成長は、必ずしも現金の増加を意味しません。
むしろ、急成長期には現金が減少することも少なくありません。
例えば、EC事業のC社は前年比150%の成長を遂げ、利益も大幅に増加しました
。しかし現金は逆に減少。原因を調査すると、成長に伴う在庫増加、先行投資的
な広告費、人員増強のためのオフィス拡張など、成長の「隠れたコスト」が浮かび
上がりました。
この発見により、C社は成長ペースを少し緩め、資金調達を行うことで健全な経営
基盤を構築しました。
現金の動きは、ビジネスモデルの本質的な強さや弱さを明らかにします。
サブスクリプションモデルのD社と、プロジェクト型のE社を比較してみましょう。
両社とも同規模で似たような利益率でしたが、D社は毎月安定した現金流入がある
のに対し、E社は大きな波があります。
この違いは、D社のビジネスモデルが本質的に「現金創出力」に優れていることを
示しています。
財務諸表の多くは「ある時点」や「ある期間」の状態を示すスナップショットです
が、現金の流れは「時間の経過」という要素を含んでいます。
例えば、小売業のF社は季節変動が大きく、12月の売上が年間の25%を占めています。
損益計算書ではこの季節性は年間で平均化されますが、現金の流れを見ると、
9月〜11月の仕入れ期に大きく現金が減少し、12月〜1月に回復するパターンが明確
になります。
この理解により、F社は8月までに資金を確保し、厳しい時期に備える習慣を確立しました。
多くの社長は、「なんとなく資金がきつい」「最近楽になった気がする」といった直感を
持ちますが、現金の動きを追跡することで、これらの感覚を客観的に検証できます。
例えば、製造業のG社の社長は「最近資金繰りが楽になった」と感じていました。
現金の流れを分析すると、実際に3か月前から現金残高が増加傾向にあることが確認
できました。
原因は、6か月前に導入した在庫管理システムにより、在庫水準が20%削減され、
その効果が現金増加となって現れ始めたのでした。
では、現金管理を効果的に行うための基本的なアプローチを見ていきましょう。
社長にとって最も実用的な現金管理ツールは「13週資金繰り表」です。
これは今後13週間(約3か月)の現金の入出金を週単位で予測するものです。
実践ポイント:
– 毎週金曜日に更新する習慣をつける
– 「確定」と「見込み」を区別して記入する
– 前週の予測と実績の差異を分析する
– 現金残高が最低ラインを下回る週があれば、2か月前から対策を講じる
現金転換サイクル(CCC)とは、仕入代金の支払いから売上代金の回収までの期間です。
このサイクルが短いほど、少ない資金で事業を回せます。
実践ポイント:
– 売掛金回収期間の短縮(早期請求、回収条件の見直し)
– 在庫保有期間の最適化(適正在庫の設定、発注頻度の見直し)
– 買掛金支払期間の最適化(支払条件の交渉)
例えば、CCCを60日から45日に短縮できれば、月商1,000万円の企業では約500万円
の資金が解放されることになります。
予期せぬ出来事に対応するための「現金バッファー」(安全在庫)を持つことは重要です。
実践ポイント:
– 最低限の現金バッファーを設定する(一般的に固定費の2〜3か月分)
– 季節変動がある場合は、厳しい時期に向けて計画的に現金を確保する
– 大型投資や返済がある場合は、その額を加味したバッファーを設定する
損益計算書は「物語」を語りますが、現金は「真実」を語ります。
どれだけ美しい利益の物語があっても、現金という真実が伴わなければ、その物語
は続きません。
財務初心者の社長にとって、複雑な会計概念をすべて理解することは難しいかもしれ
ませんが、「現金の流れ」を把握することは比較的容易です。
毎日の銀行残高をチェックし、入出金を把握することから始めれば、自然と「現金感覚」
が身についていきます。
「実在する現金」に焦点を当てた経営は、財務の基礎が十分でない社長にとって、
最も確実で効果的なアプローチです。
現金は嘘をつきません。現金は、あなたの経営判断の結果を最も正直に映し出す鏡なのです。
次回は「会計と財務の違い:混同しがちな2つの視点」について解説します。お楽しみに!