賃上げと投資を促進する「戦略的経営」の正体 第3回

2025.08.08

賃上げと戦略的経営の成功法則

中小企業白書が証明する「経営力3要素」と持続的な賃上げを実現するプロセス
📅 更新日:2026年5月14日

「賃上げはしたい。でも原資をどこから作ればいいかわからない」——横浜市内でご支援先の建設業社長と面談したとき、まさにその言葉が出ました。年商5億円、従業員20名。売上は伸びているのに、賃上げするたびに資金繰りが苦しくなる、という状況でした。

2025年版中小企業白書は、この問いに対して明快な答えを示しています。全体の85.2%の企業が賃上げを実施予定とした一方で、最も多いのは「業績の改善が見られないが賃上げを実施予定」とする企業——36.9%を占めます。これは「人材確保のための防衛的賃上げ」であり、数年以内に賃下げや人員削減に転じるリスクを内包しています。

一方で、同じ賃上げでも「戦略的経営」を実践する企業は、持続的な業績向上と賃上げを両立しています。白書はその差を「経営力」という概念で定義し、3つの要素として明示しました。これは国が初めてデータで証明した、賃上げ実現の構造的条件です。

さらに2026年の現時点では、帝国データバンクの2025年度倒産集計(1万425件)が示す通り、賃上げ原資を作れない企業から先に市場を退出していくという現実が加速しています。防衛的賃上げを続けながら倒産に向かっている会社と、戦略的経営で賃上げを好循環に変えている会社——その差は何か。30社以上の財務改善支援を通じて見えてきた本質を解説します。

先述の建設業社長は、3か月後に粗利率を4ポイント改善し、翌年の賃上げ原資を確保しました。その出発点は「戦略的経営とは何か」を正確に理解したことでした。

財務を軸とした経営コンサルタントとして30社以上の経営改善を支援してきた経験から、賃上げと戦略的経営を確実に両立させる構造を体系的に解説します。

渋沢栄一の「論語とそろばん」——道徳と経済の両立——の思想と現代財務理論を融合した「収益満開経営」の視点で、賃上げが企業の持続的繁栄をもたらすメカニズムを明らかにします。

この記事を読むことで、以下を得ることができます:

  • 白書が定義する「経営力3要素」の実践的な意味
  • 防衛的賃上げと戦略的賃上げの構造的な違い
  • 差別化と価格転嫁が賃上げ原資を生む仕組み
  • 今日から動ける3段階のアクションプラン

ブルームの期待理論が示すように、従業員のモチベーションは「努力すれば達成できる」という見通しと「達成すれば報われる」という確信から生まれます。賃上げとは報酬だけの問題ではなく、経営の仕組み全体の問題です。この記事でその全体像をつかんでください。

白書が定義する「経営力」の正体

2025年版中小企業白書が示した最大の発見は、賃上げと投資を両立する企業の「経営力」が明確に定義されたことです。

🎯 白書が定義する「経営力」3要素

激変する環境において、中小企業が課題を乗り越え、成長・持続的発展を遂げるには、経営者が自らの状況と方向性を把握し、適切な対策を打つ力としての「経営力」が重要である(2025年4月25日閣議決定)。

A個人特性面:経営者の成長意欲

異業種・広域ネットワークで他の経営者と交流し、学び直しに取り組む経営者の成長意欲の高さは業績向上に寄与します。経営判断力は継続的学習によって着実に向上することが白書でも示されており、「学び続けない経営者の会社は停滞する」という事実はデータで裏付けられています。
B戦略策定面:長期計画と差別化

長期計画の策定・実行、差別化や市場環境を意識した適切な価格設定を行う戦略的経営は、業績向上や賃上げ・投資を促進します。白書は「5年超の長期計画を持つ企業は短期計画の企業より売上・付加価値の伸びが高い」とデータで示しており、これが賃上げ原資創出の核心です。
C組織人材面:オープンな経営

経営理念・業績・計画を従業員と共有する「オープン経営」を実践している企業は、そうでない企業に比べて業績が2.9倍高いという調査結果があります。デシ・レッパーの内発的動機づけ理論が示す通り、自律性・有能感・関係性が満たされる組織では、賃上げの効果が数倍に高まります。
85.2%

2025年度賃上げ実施予定

36.9%

業績改善なき防衛的賃上げ

4.48%

中小企業平均賃上げ率

経常赤字企業でも約3%の賃上げを実現している事実は、賃上げ原資を創出できる経営者とできない経営者の間に、明確な「思考の差」があることを示しています。

差別化と適切な価格設定が賃上げ原資を生む

白書が示す最も重要な発見の一つが、「製品・サービスの優位性と価格への反映」の関係です。製品・サービスの優位性が価格に「十分に反映されている」企業は、そうでない企業と比較して販売単価が上昇したと回答する割合が有意に高いことが判明しています。

❌ 多くの中小企業が陥る「価格設定の罠」

「うちの商品・サービスは良いものだから、いつかお客様がわかってくれる」——この考え方こそが、適正な価格設定を阻害する最大の要因です。近江商人の「日々損益を明らかにしないでは寝につかぬ」が示す通り、価値を数字で把握・説明できなければ、価格に反映されることはありません。

🎯 戦略的価格設定の3ステップ

1コスト構造の完全把握

材料費・労務費・間接費を正確に算出。「粗利率は何%か」を即答できない社長の会社では、賃上げ原資がどこにあるかを把握できていません。
2競合他社との差別化要因の数値化

品質・納期・技術力・顧客対応など、客観的に測定可能な差別化要因を明文化します。「他社より良い」ではなく「何が何%優れているか」まで落とし込む。
3顧客価値の定量評価

お客様が得られる具体的なメリットを金額で表現。コストに利益を乗せるだけでは競争力は生まれません。「この価格で何を得られるか」を顧客の言葉で説明できて初めて、値上げ交渉が可能になります。

投資促進のメカニズム

設備投資についても、白書は賃上げと戦略的経営を両立する企業の投資行動に明確な特徴があることを示しています。

🔑 投資成功企業の3つの共通点

1. 明確な投資目的:「なぜその投資が必要なのか」を数値で説明できる
2. 回収計画の具体性:「いつまでに、どのように回収するか」が明確
3. リスク要因の事前検討:「何が起きたら計画が狂うか」を想定済み

💼 投資計画策定の実践例

前提:新機械導入による生産効率向上

現在:1時間で10個生産 → 導入後:1時間で15個生産(50%向上)

削減時間:月間200時間 → 人件費削減効果:月50万円

投資額1,000万円 ÷ 月50万円 = 20か月で回収

この試算を「受注が30%減少した場合でも33か月以内で回収可能」というリスクシナリオとセットで持つことで、投資判断に確信が生まれます。

好循環を生む4つの要素

白書の分析から見えてくるのは、賃上げと戦略的経営を両立させる企業の「思考パターン」です。

🔄 好循環を生む4つの要素

1. 未来志向の計画策定:5年後のビジョンから逆算した戦略。山田方谷「入りを量りて出を制す」が示すように、まず収入の実態を把握した上で、将来の投資・賃上げを設計する。
2. 数値に基づく意思決定:感覚ではなくデータによる判断。粗利率・営業利益率・現金残高を即答できる経営者とできない経営者では、問題発見の速度が決定的に異なります。
3. 継続的な改善サイクル:月次での計画vs実績チェック。白書が示す通り、PDCAを「Do・Check・Act」すべて実施している企業は「想定した効果が得られた」と回答する割合が突出して高い。
4. 従業員との価値共有:計画の背景と意義の共有。松浪硝子工業(白書掲載事例)は9か年計画を従業員と共有し、計画初年度に赤字事業を黒字転換させました。

🧠 ブルームの期待理論が示す科学的根拠

モチベーション = 期待 × 誘意性 × 道具性

  • 期待:「努力すれば達成できる」という見通し → 明確な経営計画で提供
  • 誘意性:「達成したい」と思える目標 → ビジョン共有で創出
  • 道具性:「達成すれば報われる」という確信 → 透明な評価制度と賃上げの約束

渋沢栄一の「論語とそろばん」が示す道徳と経済の両立は、この期待理論と本質的に一致します。賃上げは約束であり、約束を果たせる経営の仕組みを先に作ることが順序です。

今日から動ける3段階のアクションプラン

白書の知見と30社以上の支援経験から導いた、賃上げと戦略的経営を両立させるための実践的なロードマップです。

📋 第1段階:現状の数字を把握する(1か月目)

  1. 過去3年間の粗利率・営業利益率・人件費比率の推移を確認する
  2. 競合他社との価格・サービス内容を比較し、差別化要因を書き出す
  3. 現在の価格が顧客価値を反映しているかを検証する
  4. 従業員満足度を匿名アンケートで把握する

📈 第2段階:賃上げ原資を創出する計画を立てる(2〜3か月目)

  1. 5年後のビジョンを数値で表現する(売上・粗利率・人件費の目標)
  2. 差別化を価格に反映させるための具体策を1つ決める
  3. 投資計画を「回収期間」と「リスクシナリオ」とセットで立案する
  4. 計画を従業員と共有する場を設ける

🔄 第3段階:月次で改善サイクルを回す(4か月目以降)

  • 第1週:前月実績の分析と要因特定
  • 第2週:当月の行動計画確認と修正
  • 第3週:進捗確認と必要な軌道修正
  • 第4週:次月準備と年間計画の見直し

賃上げと戦略的経営の本質

白書が示す「賃上げと戦略的経営の両立」は、高度なテクニックではありません。未来を見据えた計画策定、数値に基づく意思決定、継続的な改善習慣、全社的な価値共有——渋沢栄一の「論語とそろばん」が説く道徳と経済の両立そのものです。賃上げは結果ではなく、戦略的経営を実践した企業に自然に訪れるものです。

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合同会社エバーグリーン経営研究所

経営コンサルタント 長瀬好征

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