「社長、まず粗利を上げることを考えてください。粗利が増えれば、経営は楽になりますよ」
税理士や顧問から、こうアドバイスをもらったことのある社長は少なくありません。では、このアドバイスに従って粗利を上げれば、本当に経営は楽になるのでしょうか。答えは「正しい部分もあるが、それだけでは足りない」です。
収益満開経営の長瀬好征です。
数年前、川崎市で建材販売を営むM社長が私のところへ相談に来られました。
「顧問税理士から『粗利を上げれば資金繰りが改善する』と言われて、必死に値引きを減らし、仕入れ単価を交渉して、粗利率を28%から33%に引き上げました。でも……資金繰りは全然楽にならないんです」と、困り果てた表情でおっしゃっていました。
試算表を拝見すると、確かに粗利率は5ポイント改善していました。
しかし、売掛金の回収サイトが90日と長く、しかも売上規模の拡大に伴って売掛金残高が膨らんでいた。粗利は「損益計算書」の上では増えていても、実際の「現金」はむしろ減っていたのです。
税理士のアドバイスは間違っていたわけではありません。
しかし、税理士が見ている視点と、社長が経営で直面している現実には、構造的なズレがあるのです。
本記事では、このズレの正体を明らかにしたうえで、税理士のアドバイスを正しく活かすための「2つの視点の統合」をお伝えします。
税理士が「粗利を増やしてください」と言う背景には、損益計算書(P/L)を中心とした財務分析の論理があります。この視点は、それ自体は正しいものです。まず、その論理を正確に理解しましょう。
損益計算書の構造は次のようになっています。
税理士の視点から見ると、固定費(人件費・家賃・減価償却費など)は短期的に変動させにくいコストです。
であれば、最終利益を改善するためには、その上流にある「粗利」を大きくすることが、最も直接的かつ確実なアプローチになります。
これは理論として正しい。
粗利が固定費を大きく上回れば、確かに黒字が拡大します。問題は、損益計算書が「ある期間の損益の記録」であり、「現金がいつ、どのように動くか」という時間軸の情報を持っていない点にあります。
損益計算書では、商品を販売した瞬間に「売上」が計上されます。
しかし実際の現金が入金されるのは、売掛金の回収サイトに応じて30日後、60日後、90日後……という場合があります。
【M社長の実態(支援開始時)】
・売上:年間2億4,000万円(前年比+20%)
・粗利率:33%(前年28%から改善)→ 粗利額 7,920万円
・売掛金回収サイト:90日
・売掛金残高:5,900万円(前年4,100万円→+1,800万円)
・経常運転資金の増加:+2,100万円
損益計算書上の粗利は増えたが、売掛金として「外に出たまま戻ってこないお金」が膨らみ、手元現金は前年より減少していた
これが、「粗利は増えたのに現金が減った」という逆説の正体です。
損益計算書の論理だけを見ていると、この「時間差」という落とし穴が見えなくなります。
税理士は損益計算書のプロです。
しかし、社長が日々格闘しているのは「現金がいつ入って、いつ出ていくか」というキャッシュフローの現実です。
この2つは、同じ会社の財務を見ているようで、まったく異なる景色を映し出します。
キャッシュフローの観点から「粗利を増やす」ことの効果を正確に測るには、粗利の増加が「いつ現金として手元に入るか」を同時に考える必要があります。
つまり「粗利を増やすこと」は必要条件ですが、それだけでは「現金が手元に残ること」の十分条件にはならないのです。
税理士のアドバイスを聞いて、自社の課題を見失う——この現象は、心理学的にも説明できます。

税理士の課題(P/L改善)と社長の課題(現金確保)は本来別物。2つを統合して初めて、粗利向上が経営改善につながる。
アルフレッド・アドラーが提唱した「課題の分離」の原則によれば、「その問題の結末を最終的に引き受けるのは誰か」を基準に、自分の課題と他者の課題を明確に区別することが、健全な意思決定の出発点になります。
財務の文脈に当てはめると、税理士の課題は「損益計算書をいかに改善するか」です。これは税理士の専門領域であり、税理士の視点から見れば正しいアドバイスです。一方、社長の課題は「会社が来月も来年も存続し続けるための現金を確保すること」です。
これは本来、別の課題です。しかし多くの社長は、専門家であるはずの税理士のアドバイスに引きずられ、「粗利向上」という「他者の課題」を自分の最優先課題として取り込んでしまいます。アドラーが言う「課題の混同」が起きているのです。
M社長のケースで言えば、税理士のアドバイスに忠実に従った結果、「粗利率を上げること」が目的になり、「現金を確保すること」という本来の経営課題から目が離れてしまいました。
これは税理士を責めるべき問題ではなく、社長自身が「自分の課題」を明確に持っていなかったことが根本原因です。
アサヒビールのV字回復を成し遂げた樋口廣太郎は、スーパードライ開発において驚くべき決断をしました。「原価計算を禁じる」という指示です。通常、新商品開発では原価・利益シミュレーションを綿密に行います。しかし樋口は、そのプロセスをあえて排除した。
その理由は明快です。「数字を先に見ると、人は数字に縛られる。最高の商品を作ることに全力を注いだ後、その責任は社長である自分が取る」——これが樋口の哲学でした。工場(数字の論理)の課題と、経営者(最高の価値を作る)の課題を、完全に分離していたのです。
「他者の知恵は借りるが、他者の課題に経営判断を委ねない」——これが真の経営者の姿です。税理士の数字の論理を尊重しながらも、最終的な経営判断の軸は社長自身が握る。まさにアドラーの「課題の分離」の実践です。
📺 スーパードライ開発で、なぜ原価計算を禁じたのか?樋口廣太郎が貫いた「社長が全責任を負う」という経営戦略
税理士の視点(損益計算書)と社長の視点(キャッシュフロー)は、対立するものではありません。2つを統合して初めて、粗利向上が真の経営改善につながります。統合のための3つの原則をお伝えします。
粗利を上げる施策(値引き削減・仕入れ交渉など)を実施するときは、同時に「売掛金の回収スピードを上げる交渉」も組み合わせます。粗利率を5ポイント改善しても、回収サイトが30日短縮されれば、現金創出効果は倍増します。
M社長の改善後(6ヶ月後)
・粗利率:33%を維持(改善前水準を守る)
・売掛金回収サイト:90日 → 60日に短縮
・手元現金:支援前比 +1,200万円改善
月次の試算表を受け取ったとき、粗利率(%)だけでなく、粗利額(円)と売掛金残高・在庫残高の動きを必ずセットで確認します。「粗利が増えたのに売掛金も増えている」場合は、現金はまだ手元に来ていないというシグナルです。
税理士に対して「粗利を上げるためにどうすればいいか」だけでなく、「粗利向上とキャッシュフロー改善を同時に達成するにはどうすればいいか」と質問を変えることで、より実践的なアドバイスを引き出せます。顧問税理士をより有効に活用するための「社長側の問いかけ方」の変化です。
M社長は最終的に、税理士と月次面談で「損益の改善状況」と「資金繰り予測」の両方を確認する習慣を作りました。半年後には現金残高が改善し、「粗利を上げながらお金も増えている」という、本来あるべき姿が実現しています。
「粗利を増やせ」という税理士のアドバイスは、損益計算書の論理として正しいものです。しかし社長が経営で直面している現実は、損益計算書の外にある「キャッシュフローの時間差」です。
アドラー心理学が教える「課題の分離」の視点を持つことで、専門家のアドバイスを正しく取り込みながら、自社の経営課題に集中できる社長になれます。
次回(第6回)は、「売上総利益の『質』が経営を決める」をテーマに、粗利の量ではなく質という視点から解説します。回収サイト・在庫回転・安定性という3つの軸で、自社の粗利の健全度を診断する方法をお伝えします。
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