会社案内


会社名 合同会社エバーグリーン経営研究所
代表社員 長瀬好征
事業内容 中小企業に対する銀行融資、資金繰り改善を起点とするお金に困らない会社にするための総合的なコンサルティングを提供しています。
法人設立 2022年1月
創業 2011年5月

プロフィール


中学生1

「『そこは大丈夫」と助言いただきながら、動けたのがよかった」と言われる財務コンサルタントの長瀬 好征(ながせ よしゆき)です。
「『この先、どうなるのかな』というのが見えなかった ので...」と頼っていただけると、嬉しいです。
「そのために、お客さんがなにに興味があるのか、 また、本当に思っていることはなにか、お客様の深いところを知ろうとすることを心がけています。

なぜ、わたしが【誠実】を使命としているのか、 聴いていただけますか?

「ピッチャー用のグローブを買ってきてくれた!」
「言いたいことがあるのに、自分の想いをうまく伝えられない...」
小さいころから、父を見ていると、どこかそう感じていました。
父の兄姉3人は岡山県内有数の進学校を出て、県外の優良企業に就職。父はというと、商業高校を出てなんとか工場の工員の職が決まる。

兄姉と比較されて、劣等感が強かったため、弱みを隠したかったのかもしれません。父のそんな姿が気になっていました。
わたしが小学校高学年になり、勉強について、「お父さん、どう思う?」と質問すると、答えられず、黙ってしまう。
それでも、父は、3人の息子たちとがんばって会話しようと、わたしたちの興味のありそうなことを、無理して知ったかぶりで話すのです。
わたしが、「そうじゃないでしょ!」というと、父は、さびしそうにしてなにも言わなくなります。
ある日、父は、わたしにピッチャー用のグローブを買ってきてくれました。
「よしゆきは、阪急の山田久志が好きだったよな」
わたしが、阪急ファンで、ピッチャーの山田久志が大好きだったことを知っていてくれたのです。わたしがよろこんでいる姿を、父はなにも言わず黙って、にこやかに見ていました。
父の仕事は、工場の現場のため三交代。なかなか子どもたちと一緒に遊びに行けません。
あるとき、父が、「阪急のチケット取ったから、今度西宮球場行くぞ」と言って、岡山から西宮球場まで連れて行ってくれました。父と一緒に遊びに行った数少ない出来事で、忘れられない父との思い出です。

「なんでわかってくれないんだ!」


小学4年生のとき、テレビドラマで「都会の森」という番組を放送していました。被告として疑われる女性が逮捕されて、無罪を主張する新人弁護士が、走っているシーンが、とても印象的でした。
無実なのに逮捕されたことに対する怒りが、走っている姿からにじみ出ていたのです。そんな世の中の矛盾に立ち向かう姿に、なぜか共感したのです。
わたしは2歳上の兄の友だちに可愛がってもらいました。中学に入ったとき、兄の友だちから「剣道やらないか」と誘われて剣道部に入りました。
ところが、中学1年の夏ころから、腰痛がひどくなり、足を動かせないくらいになりました。医者から安静が必要といわれ、家にいるようになりました。
まわりの友だちが活発に活動しているのに、わたしは一人部屋の中で寝ている。

高校生2

「指輪物語」など物語やファンタジーをむさぼるように読み、想像をめぐらす、そんな日々をすごしていました。
高校に上がったとき、中学で最後までやれなかった剣道部に入りました。1年間は部活を続けられました。ところが、高校2年からまた腰痛に悩まされました。高校3年の5月、歩くこともできなくなり、50日間欠席しました。「受験勉強なんて、無意味なことなんじゃないか」という矛盾を抱えながら、勉強していたことが引き金でした。
痛みを抱えて部屋で寝ているので、読書しかやれることはありません。人間の矛盾を描いたカミュの「シーシュポスの神話」を読んで、無限の苦痛と人間の試練という物語にとても共感しました。
体を動かせない、眠れないほどの痛みがあって学校を休んでいても、まわりから見たらわからないのです。「あいつは、ずる休みをしているのではないか」「本当に痛いのか」と疑れたりしたのです。
「動けません。歩けません」と言ってもわかってくれない。
人に理解してもらおうとしましたが、本当のところをわかってくれません。
「なんで、わかってくれないんだ!」

高校生3

「きめたことを続けたこと、すごい」


大学は、浪人して地元の国立大学の法学部に入りました。小学校のとき見たテレビドラマのように、世の中の矛盾を解決し、世の中をよくしたい思いで弁護士になりたかったのです。
大学2年、22歳の年。就職氷河期になりました。生まれた年が1年2年ちがうだけで、就職に差がある世の中はおかしい!と憤りを感じました。
経済が停滞すると中小企業は、もろ影響をこうむります。中小企業の事業が再生しないと、日本は再生しない。
中小企業の再生と支援のためには、日本という国は、法律が未整備だったのです。ところが、事業再生のための法律の担い手がいない。
そのような矛盾を解決する弁護士になって、中小企業の再生と支援をやっていこう!そういう志も持つようになったのです。

現実には、使命感が強かったわけではありません。ほかになにかやりたいことがなかったのです。長い間の腰痛で思うように動けないで生きてきたけど、なにかをなしえたい!という自分の中の矛盾が突き動かしたのです。
大学卒業後も、腰痛のためふつうに働けないので、大学院に進学。勉強しながら司法試験を目指しました。
32歳のとき、もうこれ以上司法試験を受けることをやめることにしました。
司法試験は、3時間半1本勝負の試験。ところが、持病の腰痛で、途中で集中力が途切れてしまうことに気が付いたのです。ちょっとした周りの雑音を拾い集中できず、精神的にまいってしまっていたのです。
「弁護士になれなかった…」という未練が強く残りました。なんとか、東京の小さな会社に就職が決まり、生まれて初めて岡山の実家を離れることになりました。
32歳まで、やりたいようにさせてくれた両親には、ありがたい気持ちでいっぱいでした。
同時に、「もう、岡山に帰ってくることはないな…」と思うと、無性にかなしくなったのです。
「決めたことをやり続けたこと、すごいと思っていたのよ」
という母の言葉を胸に、上京しました。

「僕のしたいことは、こんなことじゃない!」


32歳のとき、東京の小さな商社に就職しました。マーケティングを勉強していたことで、大量に在庫を抱えていたマスクをほとんど売り尽くしました。
その後、病院向けの商社に転職。外部のマーケティング講習会に行き、本格的に勉強しました。結果、会社のメイン商品を売りまくりました。
マーケティングを勉強することで、見えないものがみえるようになりました。結果、予想していた通りの結果になる。それをさらに仕組化することで、安定して売上が上がる。そこに、この上ない、喜びを感じたのです。
2011年、東日本大震災。自然災害の前に、いつ死ぬか分からないと思うと、自分が本当にやりたいことはなにか考えるようになりました。ところが、ずっと微熱が続き、原因不明の体調不良に悩まされていたのです。

コンサル4

「やりたいことをやっていないんじゃないか!」実は、これが一番のストレスだったのです。
その後、ご縁の合った方のお誘いで、保険業界に転身しました。
2014年、39歳のときに大きな出来事が起きました。以前からお付き合いのあった社長二人が、亡くなったのです。
一人は、31歳。高額の生命保険に入っていましたが、いろんな会社が来て、気が付くと、会社はなくなりました。
もう一人は、44歳。借金があったため生命保険には、入っていませんでした。会社は倒産、借金だけ残る。
知り合いの死もショックでしたが、お金があってもなくても会社が残らないという事実が、なによりも大きなショックでした。
保険の仕事では、会社のほかの人が成約率30%程度のところ、わたしは80%を達成。お客さんの話を深く聴き、提案すると決まるのです。
それなのに、まったく楽しくない。苦しく、つらいだけでした。なぜかというと、会社が集客したお客さんのところに勝手にアポを入れられる。さらには、会社の都合で売らなければいけない商品を売らないといけない。
いつまで、こんなことをやっているんだ…
2015年、40歳のとき、座っているだけで汗が出る。胸が痛い。歩くのもしんどい。真夏なのに寒い。死ぬんじゃないか…と思うほど、つらかったです。
やっていることとやりたいことの矛盾に、超ストレスを感じていたのです。
「ぼくのしたいことは、こんなことじゃない!」
そう思い、会社をやめ、ラーメン屋のアルバイトに逃げ込みました。

コンサル風景7

「なぜ、わたしが『誠実』を使命として掲げているのか?」


ラーメン屋のバイトをしてストレスから解放されてくる中で、やっと自分のことが見えてきました。
自分がやっていることとやりたいことに、矛盾があると、ストレスになる。自分がやりたいと思っていることに、正面から取り組まないとダメなんだ。自分の心にウソをつくとダメなんだ。
そもそも、22歳のときに志したことをやっていないじゃないか。
自分のやるべきことに正面から向かってこなかったのです。
それが、腰痛やストレスとなって、現れてきたのかも…
そう思ったとき、これまで生きてきたことが一つになってつながってきました。

小学4年生のとき、世の中の矛盾に立ち向かう弁護士にあこがれたこと。
22歳のときに、就職氷河期を目の当たりにして、中小企業の再生と支援をする弁護士になろう!としたこと。
それにも関わらず、志とちがうことをやり続けてきた。
その瞬間に、いかに自分が、自分に、”誠実”に生きてこなかったことに気づいたのです。
「受験勉強なんて、無意味なことなんじゃないか」という矛盾を抱えながら、勉強していたこと。
売れる仕組みは作って売れるようになったが、自分がやりたいことをやってなかったこと。
会社の都合で、お客さんのためにならない商品を売っていたこと。
やりたいことをやるという誠実な生き方をしなかった。
そこから、わたしは、【誠実】を使命と掲げることにしました。
そのことで、自然と次の方向性も明確になってきました。そうすると、「法人専門の営業をさがしています」という保険代理店からお声がかかってきたのです。
しかも、「法人をやるなら、財務の話ができないといけない」というアドバイスもいただきました。
その保険代理店でお世話になりながら、財務の勉強も始めました。以前、マーケティングを勉強していたときは、売上は上がっているのに、利益が出ない、そして、倒産する会社というのを見てきました。そのときは、不思議でなりませんでした。
会社の方からも「やりたいことが、財務コンサルだったら、財務コンサルをやったらいい」というお墨付きをもらいました。
100軒電話して1件アポが取れる。テレアポをして訪問するうちに、コンサルを依頼される会社が、1社2社と出てきたのです。
財務コンサルをして見えてきたこと。会社の経営が苦しい会社の事業再生を行うために、関わる時間が長くなります。それと同時に、社長さんが、ウソ偽りなく誠実に、わたしに話してくれることが、なにより重要だということがわかってきたのです。
なぜかというと、財務コンサルの場合、「数字」から数字には表れない会社の強み・弱みが見えてくるのです。そのためには、わたしのことを信頼して、すべてを誠実にオープンにしてくれることが重要だということがわかりました。
そのために、初対面のときから、より誠実に、より客観的に、そして、社長さんに「大丈夫ですよ」と寄り添う姿勢が大事だということがわかってきました。
このように、【誠実】を使命に掲げると、お客さんとの関係にも変化があらわれたのです。
社員がやめて売上も激減して有利子負債が積みあがり困っていた社長さんとのことです。
「会社の状態が最悪で、『この先、どうなるのかな』と先が見えてなかったときに、毎月来ていただいて、安心だった」
「中立な立場というか、むしろこちらサイドの立場に立って、メリットやデメリットも説明してくれて、どうすればベストかという話をしてくれたのが、うれしかった」
「方向性が見えて、話を進めていったら、その時に話したシナリオ通りに進んでいったので、心強かったです」
と笑顔で話してくれるようになりました。
お会いしたときに
「自己破産しなくても大丈夫ですよ」
とわたしが話したら、泣きそうな社長の表情、忘れられません。
そこから、わたしのことを信頼してくれて、誠実に接していただいた結果、財務改善したときは、なによりもうれしかったです。
税理士や金融機関から、会社再建の相談に乗ってもらえず、どうしたら会社を継続できるかわからず困っている社長さん。
信頼できる人がいなくて、一人ですべてを解決しようと頑張っている社長さん。
「だれも自分の会社のことは、まわかってくれない...」「見た目だけで判断しないでくれ!」と、わかってもらえないであきらめかけている社長さん。
そんな社長さんが、「悶々としていた、うまくいっていない理由がわかった。一緒にぜひ会社を改善していきたい!」と頼っていただけたら、とても嬉しいです。
そのために、これからも、お客さんがどんなことに興味があるのか、どんなことが心配なのか、お客様の本音を深く聴くことを心がけていきます、そして、お客さんが見えなかったことを見えるようにすることで、よろこんでいただけるようにこころがけていきます。

最後に、


父へ
「いま振り返ると、子どものころ、もっと、お父さんの気持ちをわかってあげたらなぁと、思います。
そして、もしかしたら、お父さんもやりたいことがあったのかなぁと思うことがあります。お父さんの分まで、やりたいことを誠実にやり抜きます」

合同会社エバーグリーン経営研究所代表社員
長瀬 好征