「倒産寸前のアサヒビールを救ってほしい」
住友銀行(現・三井住友銀行)のエースとして、数々の再建現場を渡り歩いてきた樋口廣太郎氏が、アサヒビールの社長に就任したのは1986年のことでした。当時のアサヒビールは、シェアが10%を切り、業界では「夕日ビール」と揶揄される絶望的な状況にありました。
しかし、樋口氏は就任からわずか3年で、伝説的な商品「スーパードライ」を世に送り出し、業界首位への道を切り拓きます。このV字回復の裏側には、私たちが信じ込んでいる「財務の常識」を根本から覆す、驚くべき意思決定がありました。
樋口氏は、神戸大学で原価計算を教えたこともある、いわば「数字のプロ」でした。しかし、アサヒビールの再建にあたって彼が放った言葉は意外なものでした。
「原価を計算するな。最高においしいビールを造れ。原価は、後からついてくるものだ」
多くの経営者は、利益が出なくなるとまず「原価削減(コストカット)」に走ります。しかし、樋口氏はそれを「安易な経営」と断じました。原価削減を優先すれば、原材料の質が落ち、味が落ち、顧客が離れる。その結果、さらに売上が下がり、単位あたりの固定費が上がって利益が削られるという「死ののスパイラル」に陥ることを知っていたからです。
💡 経営研究所の視点:
これは、二宮尊徳が説いた「分度」の精神そのものです。分度とは単なる節約ではなく、「目的(顧客価値)のために、正しく資源を投じる枠組み」を指します。計算(手段)が目的化してしまった時、企業は生命力を失うのです。
→ 関連:「算なき経営」の末路と、正しい分度の引き方
当時のアサヒビールには、失敗を恐れて新しい挑戦を阻む「事なかれ主義」が蔓延していました。樋口氏は、スーパードライの開発にあたって、現場の技術者たちにこう告げました。
「責任はすべて私が取る。君たちは、自分が本当においしいと思うビールだけを造れ」
この「責任の分離」こそが、停滞した組織を動かす最大の財務戦略です。多くの会社では、現場に「コスト意識」を求めすぎるあまり、現場が萎縮し、イノベーションの芽を摘んでいます。「数字の責任は社長が負い、価値創造の責任は現場が負う」。この明確な区分けが、不可能を可能にするのです。
樋口氏は、銀行員時代に五反田支店などで多くの倒産危機に立ち会いました。そこで学んだのは、「数字は結果であって、原因ではない」という真理です。
中小企業の社長が毎月試算表を見て、「今月は利益が出た、出なかった」と一喜一憂するのは、単なる「計算」です。真の財務とは、その数字の裏にある「人の動き」「空気の変化」「顧客の満足度」を読み解き、次の一手を打つこと。樋口氏にとっての財務とは、まさに「人を動かすための哲学」でした。
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あなたの会社の試算表に並ぶ「数字」は、現場を動かす力を持っていますか?それとも、現場を縛る鎖になっていますか?
次回の第2回では、樋口氏がなぜ銀行員でありながら「計算するな」と言い切れたのか。その背景にある「分度と責任の分離」について、さらに深く踏み込んでいきます。
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