安本隆晴著『ユニクロの監査役が書いた 伸びる会社をつくる起業の教科書』書評
書名:ユニクロの監査役が書いた 伸びる会社をつくる起業の教科書
著者:安本隆晴(公認会計士・税理士・株式上場準備コンサルタント)
出版社:ダイヤモンド社
評価:★☆☆☆☆(起業本として)/ ★★★★★(上場準備本として)
まず最初に明確にしたいのは、安本隆晴氏ご自身に対する敬意です。その実績は誰もが認める本物です。
1990年にファーストリテイリング(旧・小郡商事)の柳井正社長と出会い、以降30年以上にわたって同社の躍進を会計面から支えてきました。現在もアスクル、リンク・セオリー・ジャパン、UBICなど複数の上場企業で監査役を務める、まさに「上場準備のプロフェッショナル」です。
中央大学専門職大学院国際会計研究科で特任教授も務め、学術面でも高い評価を受けています。著書も『ユニクロ監査役実録』『熱闘「株式公開」』『強い会社をつくる会計の教科書』など、いずれも実務に根ざした優秀な内容です。
しかし、まさにその専門性の高さこそが、今回の「起業の教科書」における根本的問題なのです。
安本氏は「上場準備の最終段階」において、既に基盤のある企業を完璧に仕上げる専門家です。決してゼロからの起業支援の専門家ではありません。この違いを理解せずに本書を手に取った一般的な起業希望者は、間違いなく挫折することになります。
【重要な気づき】安本氏の成功事例の真実
ユニクロ:柳井正氏が自ら安本氏の著書『熱闘「株式公開」』を読んで連絡してきた。つまり、既に上場への強い意識と準備があった。
アスクル:1963年創業の老舗上場企業ミスミからの分社。組織・システム・人材が最初から整備されていた。
つまり、安本氏の役割は「90点の企業を100点に仕上げる」ことであり、「20点の起業家を育成する」ことではないのです。
この本の最大の問題は、内容ではなくタイトルとマーケティングにあります。おそらく安本氏の責任ではなく、編集者や出版社の判断でしょう。
本来であれば:
– 「ユニクロ監査役が書いた 上場準備の教科書」
– 「成長企業のIPO実務マニュアル」
– 「上場を目指す経営者のための財務戦略」
これらのタイトルなら、★★★★★の優秀な専門書として評価されたはずです。
しかし「起業の教科書」として売ることで、完全に読者層を間違えてしまいました。「起業」というキーワードの方が売れるという出版業界の判断が、著者にも読者にも不幸な結果をもたらしています。
本書の章立てを見てください:
– 第1章:ユニクロ柳井正社長、自らの起業を語る
– 第2章:伸びる会社をつくる起業のステップ
– 第3章:成功するビジネスプランと資金繰り
– 第4章:人を採用し、チームワーク力を高める
– 第5章:会社の成長を加速させる
– 第6章:いよいよ株式を上場する
この「スタートアップに必須の34項目を厳選」という内容は、実際には上場準備レベルの高度な項目なのです。
上場を目指す企業の割合
本書の内容が不適合な企業
厳選された上場準備項目
安本氏の成功事例を詳しく検証すると、重要な事実が見えてきます。
**ユニクロ(ファーストリテイリング)の場合**
1990年9月、柳井正社長から安本氏に電話がありました。きっかけは安本氏の著書『熱闘「株式公開」』を柳井氏が読んだことでした。
つまり:
– 柳井氏は既に上場への強い意識を持っていた
– 自ら勉強して専門書を読む姿勢があった
– 安本氏に声をかけたのは柳井氏の方から
– 組織図すら作っていない状態だったが、社長の意識レベルは極めて高かった
柳井正氏は誰もが認める勉強家であり、戦略的思考力に優れた経営者です。このレベルの社長だからこそ、安本氏の高度な指導を理解し、実践できたのです。
**アスクルの場合**
アスクルは1963年創業の老舗FA(ファクトリーオートメーション)部品商社ミスミからの分社です。
つまり:
– 既に上場企業として経営ノウハウを蓄積していた
– 分社時点で組織・システム・人材が整備済みだった
– 上場企業レベルの管理体制が最初から存在していた
これらの事実から明らかなのは、安本氏の専門領域は「真のスタートアップ支援」ではなく、「上場準備の最終段階での仕上げ」だということです。
【安本氏の真の価値】
90点の企業を100点に仕上げる世界最高レベルの専門家です。しかし、20点の起業家を70点まで引き上げる専門家ではありません。両方とも重要な役割ですが、対象となる企業のレベルが全く違うのです。
問題は、99%の中小企業社長は「20点レベル」からスタートしなければならないという現実です。
安本氏の本が想定している読者の前提条件を分析すると、なぜ99%の社長には理解できないかが明確になります。
安本氏の本では、読者が既に経営学の基礎知識を持っていることを前提としています。組織論、戦略論、マーケティング、人事管理などの概念が説明なしに使われています。しかし、実際の中小企業社長の多くは「経営学を体系的に学んだことがない」のが現実です。現実の中小企業社長:「経営学って何?」「戦略論とか聞いたことない」「とりあえず売上を上げることしか考えてない」レベルからのスタートです。
本書では損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書を自在に読み解き、財務分析ができることが前提となっています。管理会計の概念や予算管理についても当然のように言及されます。現実の中小企業社長:「決算書は税理士にお任せ」「損益計算書とバランスシートの違いもよくわからない」「資金繰り表って何?」レベルです。
「成功するビジネスプラン」について詳細に論じていますが、そもそも事業計画書を一度でも作成したことがある中小企業社長がどれだけいるでしょうか。市場分析、競合分析、財務予測などの手法を当然知っているものとして説明が進みます。現実の中小企業社長:「事業計画書って銀行に提出するやつ?」「売上予測なんて当てにならないでしょ」「とりあえずやってみないとわからない」という感覚です。
本書では企業理念やビジョンを具体的な数値目標に落とし込み、KPI(重要業績評価指標)として管理することが当然の前提となっています。抽象的な理念と具体的な数字を結びつける思考プロセスが必要です。現実の中小企業社長:「理念?うちは家族でやってるから」「数字で表現するって何のこと?」「売上目標以外に何を測るの?」というレベルです。
最終章で「いよいよ株式を上場する」とありますが、上場とは何か、なぜ上場するのか、上場のメリット・デメリットについての基礎知識があることが前提です。証券会社、監査法人、証券取引所の役割についても理解していることが前提となっています。現実の中小企業社長:「上場なんて夢のまた夢」「株式って何?うちは有限会社だし」「なんで株式を公開するの?」というレベルです。
この5つの前提条件を満たしている中小企業社長は、全体の1%以下でしょう。むしろ、これらを全て満たしているなら、もはや安本氏レベルの専門家に直接コンサルティングを依頼すべき段階です。
では、99%の中小企業社長には何が必要なのでしょうか。それは「段階別アプローチ」です。
この段階別アプローチこそが、日本の99%の中小企業に本当に必要な支援です。安本氏の本は Level 3 の段階で威力を発揮する素晴らしい教科書ですが、Level 1, 2 を飛び越えて Level 3 から始めることはできません。
私たちが提唱する「収益満開経営」では、まさにこの段階別アプローチを実践しています。
Stage 1(3ヶ月):資金繰り表作成から始める基礎的財務力の習得
Stage 2(6ヶ月):事業計画書を自分で作成できるレベルまでの向上
Stage 3(将来):安本氏のような専門家との協働による上場準備
この順序を守ることで、確実に経営者としての成長を実現できます。一足飛びに Level 3 を目指すのではなく、着実に基礎から積み上げることが成功の秘訣なのです。
一橋大学名誉教授の伊丹敬之先生が40年前から警告し続けている「社長ごっこ、経営ごっこ」の問題が、この本にも現れています。
安本氏の本は、内容そのものは素晴らしいのですが、「方法論の羅列」になってしまっています。34項目のチェックリストを覚えれば経営ができるようになるという誤解を与えかねません。
しかし、伊丹先生が強調されているように、本当に必要なのは「自分の頭で考え抜く能力」です。
方法論(安本氏の34項目) ← 山ほどある定石の一つ
思考力(自分で考え抜く力) ← 真に必要な経営者の資質
安本氏ご自身は間違いなく「自分で考え抜く力」を持った一流の専門家です。しかし、その専門知識を「起業の教科書」として一般化した時に、本来必要な「思考力の育成」が抜け落ちてしまっているのです。
それでも、この本を読むべき社長がいます。それは「本当に成長する会社をつくりたい」と真剣に考えている社長です。
この本を読むことで、以下の重要な気づきを得られるからです:
つまり、この本の真の価値は「今すぐ実践できるノウハウ」ではなく、「将来への道筋を示すロードマップ」なのです。
私が「收益満開経営」で目指しているのは、2200年の日本に繁栄を残すことです。そのためには、0.1%のエリート企業だけでなく、99.9%の中小企業の底上げが不可欠です。
安本氏のような優秀な専門家が、エリート企業だけを相手にし続けるなら、99.9%の中小企業はどうなるのでしょうか?
必要なのは:
– **エリート企業**:安本氏レベルの専門家による上場準備支援
– **中小企業**:基礎から積み上げる段階別成長支援
この両方が揃って初めて、日本経済全体の真の再生が可能になります。
【古典の叡智から学ぶ教訓】
二宮尊徳は「道徳経済合一説」で、経済活動と人間的成長は一体でなければならないと説きました。安本氏の本で扱われているのは「経済活動」の高度な技術ですが、その前提として「人間的成長」が必要なのです。
渋沢栄一の「論語とそろばん」も同じです。「そろばん」(経済合理性)だけでなく、「論語」(人間としての成長)があって初めて、持続的な繁栄が可能になります。
だからこそ、段階別アプローチが重要なのです。基礎的な人間力・思考力を育成してから、高度な経営技術を学ぶ。この順序を間違えてはいけません。
最後に、改めて整理します。
**安本隆晴氏への評価**:
– 上場準備の専門家として世界トップクラス
– 実績、知識、人格のすべてが一流
– 本書の内容も専門書としては極めて優秀
**本書の問題点**:
– タイトルと内容のミスマッチ(編集者・出版社の責任)
– 読者設定の根本的間違い
– 段階的学習の必要性への配慮不足
**建設的な提言**:
1. **適切な読者**:既に基礎的経営知識を持つ成長企業の経営者
2. **適切な活用**:将来の成長目標を設定するためのロードマップとして
3. **段階的学習**:基礎力向上 → 事業計画作成 → 上場準備の順序で
「起業の教科書」として
99%の社長には不適合
「上場準備の教科書」として
専門書として最高レベル
この評価は決して安本氏を批判するものではありません。むしろ、適切な読者が適切なタイミングで読めば、これ以上ない価値を提供する素晴らしい専門書です。
問題は「起業の教科書」として売られていることで、これは明らかに出版戦略の誤りです。
真に日本経済の再生を願うなら、エリート企業向けの高度な専門書と、中小企業向けの基礎的教育書の両方が必要です。安本氏には引き続きエリート企業の支援をお願いし、私たちは99%の中小企業の底上げに全力で取り組む。
この役割分担こそが、2200年の日本繁栄への確実な道筋なのです。
**最終的な読者への助言**:
もしあなたが本当に成長する会社をつくりたいなら、この本を読んでください。ただし「今すぐ実践する」のではなく、「将来の目標を設定する」ために読んでください。
そして、まずは基礎から始めてください。資金繰り表を自分で作れるようになり、事業計画書を自分で作成できるようになってから、安本氏の高度な専門知識に挑戦してください。
急がば回れ。これが、確実に成長する唯一の道なのです。
💡 段階別成長ガイド:起業本を読む前に、まず基礎的な財務力を身につけましょう。事業計画作成シリーズから始めて、段階的に知識を積み上げることで、安本氏レベルの専門書も理解できるようになります。古典の叡智シリーズでは、経営者として必要な人間的成長についても学べます。